女性と人生
学校や会社に通う途中の電車の中でお化粧をしている女性たちを見ていて私ははっと気がつきました。「キレイになる」ことは、学習そのものだったのです。
キレイは、まずよいお手本をマネして、くり返してナレて自分のものになります。マネこそ学ぶ、ナレこそ習うの語源なのです。
キレイになりたい、これほど多くの女性にとって強い動機となり希望となるものはありません。根気もつづくはずです。 おしゃれをする女性は、無意識に人間力をみがいています。
あなたがキレイになるこの方法で、どんな勉強も試験も自分のものにすることができるのです。 マネてナレる、勉強などとい う言葉を使わず学習力を養うこと、これが「キレイのすすめ」です。おしゃれの効用です。
もう一言つけくわえます。あなたが身につけたことを活かすのは「勇気」です。 おしゃれをして人前に出る勇気です。
心は自ずと形から磨かれるから、ひたすらキレイになることがいいことなのです。
「学ぶ」の語源は「マネ」ぶ、真似することからはじまります。 「マネ」をマネに終わらせないために「ナレ」て自分のものにするのです。「習う」の語源は「ナレ」る、ナレるまで練習することです。
それを続ける気力はどこからくるか、 それはあなたの「希望」から。
学習がマネしてナレることならば誰にもできるとわかっていただけるでしょう。 やれば何でもできるということを知ってはじめて、 できてもやりたくないこともわかります。
自分の道はそこからみえてきます。
キレイはマネから
1 師匠の大事
キレイはマネから、マネするために、 まず自分の手本になる人を持つことです。 グレタ・ガルボ、エヴァ・ガードナー、マリア・カラス、 マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーンなど、
伝説になった美女のいまではなかなか手に入らない写真を「キレイはマネからおしゃれは勇気」では53枚も集めました。 映画好きの方のためには写真集としても貴重な書籍です。
2 欲の大事
マネしてナレるまで続ける原動力が、 あなたの心の内なる欲望です。意中の大事。 継続こそ勝利への道ならば、それを駆り立てるものこそ、あなたの意中の大事。
3 私がキレイにこだわる理由
心は形から導かれます。 キレイの形から、日本の美しい心を取り戻すことが、私の欲、「意中の大事」。
おしゃれは勇気
勇気のないおしゃれはオーラがありません。
マネをつくして、マネを自分の装いとするのは勇気です。 自分に責任を持つ勇気です。 衣装はあなたの勇気の見せ所。 マネてもマネても、装うのはあなたです。
そこに残るあなたという違い、それがあなたの個性です。
おしゃれは大事です。 あなたの心がおしゃれでキレイになれば、恋人はもちろん、夫も子供も明るくなります。
何のために人は学ぶのか、それについては福沢諭吉はいいました。学問は人づきあいのため、と喝破していますが、学習とは、マネ(学ぶの語源)に始まり、ナレ(習うの語源)て自分のものにすることです。 そして学んだことを実行するのが「勇気」です。 これが私の「学習法」講座の内容です。私の著書「楽勉のすすめ」(経済界出版・廃版になってますがネットでは購入できます)にまとめてあります。
学習は発明や発見をすることでもありません。 答えのあることをマネてナラうことです。 健康な人ならば誰にでもできることです。
ただし学習を続けるには粘り強い意志の力が必要です。 それを支えるのは自分の求めるものへの強い希望です。
学習を極めた先に新しい発見や発明があります。 創造は模倣の極致といわれるゆえんです。
学習法がわかると、「できる・できない」は、「やるか・やらないか」にすぎないと気がつきます。
勉強には特別の才能はいらないのだということがわかるのです。 秀才は努力にすぎないのです。 秀才を讃えるとしたら、その努力する根気と我慢の力をこそ。
学習、すなわち勉強のやりかたがわかり、嫌いだった学科でもできるようになると面白くなることがあります。 反対に、できるようになっても依然と好きにならないこともあります。
好きこそものの上手なれです。
私がナゼ学習法を伝えてきたか。
勉強、すなわち「学んで」、「習う」とは、マネ、ナレ、実行の勇気、この三つなのだということを知っていただきたいのです。
学習とはつまるところマネてナレることからはじまるのだということを知れば、たとえ嫌いな学科でも出来るようになります。
できた上でこそ自分がそれを本当に嫌いかどうかがわかります。学習とは何かを知る意味はここにあります。
"好きこそものの上手なれ"ですが少なくても自分がどうにか続けられそうな道を見つけることが大事です。
そして続けていると自信ができ、やがて自分の得意になります。そうなれば努力を努力と思わず「仕事を趣味」とまで昇華できるものです。これは私が多くの「その道の達人」から学んだ結論です。
自分の生きる道を発見してこそ、はじめて他人を認め、人と心を分かち合ってつきあうことができるようになります。 |